生まれ:1804年11月27日 死去:1858年12月7日 54歳
イヴァン・ボロズナはコサックの家系を出自としてウクライナに生まれた。ウクライナの自然と歴史を讃えた詩集を数冊モスクワで刊行している。『詩の試み』(一八二八年)、『リラ(竪琴)』(一八三四年)、『ウクライナの詩的スケッチ』(一八三七年)、『牧草地と水辺』(一八四八年)。これらはタラス・シェフチェンコの『コブザール』(一八四〇)の同時代のまた先行するウクライナの民族的詩作発表である。
詩作で主に知られるが、散文家として残した作品としては、年鑑『一八四〇年の明星』(ペテルブルク、一八四〇年、九九から一一五ページ)に掲載された伝説『黄金の山』がある。
ボロズナ家は16世紀からスタロドゥーブシチナでコサックの名門として知られる。イヴァン・ボロズナは先祖伝来の屋敷ヴェドメデーヴェで生まれた。
コサックのスタロドゥーブ連隊はヘーチマン国家に属し、その所領であるスタロドゥーブシチナは歴史的に長らくウクライナに属していた地域である。1919年ソビエト・ウクライナ戦争によってソビエトに併合され、現在はロシア連邦ブリャンスク州の一部となっている。
イヴァンの兄ヴァシリはスタロドゥーブのポドコモーリー裁判所の書記官、ノヴォズィーブキウ郡の地方判事を経てペテルブルグ(サンクトペテルブルク)での外交官勤務に就きペルシャへのロシア使節団に参加。「ロシア帝国大使館のペルシャ旅行記の簡潔な記述」という題名で旅行記を書いている。
ウクライナの人々を深く愛したイヴァン・ボロズナは、1834年にウクライナを北から南へ、クリミアに至るまで旅をした。
この旅の結果生まれたのは、『ウクライナの詩的スケッチ』という作品であり、それはボロズナがスタロドゥーブ出身の別のウクライナ人であるグラーフ・ザヴァドフスキー伯爵に送った12通の手紙から成っていた。これらを作家は1837年に一冊の本として出版した。
イヴァン・ボロズナは故郷のヴェドメデーヴェで人生の大部分を過ごし、そこで自身の主要な作品を執筆した。それらの作品は、現地のウクライナの特色に満ちており、その基盤はスタロドゥーブの民衆の伝説や迷信であった。
イヴァン・ボロズナは叙事詩『ヴィーディマク』(魔術師)を執筆し、その中で、古くからの恨みを晴らした魔術師についての伝説を再構築した。
年鑑『一八四〇年の明星』(ペテルブルク、一八四〇年、九九から一一五ページ)に掲載された伝説『黄金の山』という作品ではウクライナの歴史的伝説を題材にしている。
1843年、イヴァン・ボロズナはウクライナの出版物『モロディク』に参加。そこで自身の詩「彼女は美しい、若きウクライナ人女性」を発表した。
ウクライナの文集『モロディク』は、1843年から1844年にかけて、イヴァン・ベツキーがグリゴリー・クヴィトカ=オスノヴャネンコ、ヴァシリ・カラジン、ミコラ・コストマロフらの協力を得て出版したものである。
『モロディク』刊行に際してのロシア評論家の大国主義的批判などが契機となったのか、この時以来、イヴァン・ボロズナはあまり執筆せず、作品を残していない。故郷の屋敷で普通の地方地主としての仕事に多く時間を費やした。
彼は1858年12月7日に54歳で亡くなった。彼の墓はヴェドメデーヴェの教会の近くにあったが、その教会も他の多くの教会と同様にロシアの革命勢力によって破壊された。